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多摩東京移管130周年!

〜多摩市町村のあゆみ〜

神奈川県から東京府へ

 今から130 年前、多摩地域は神奈川県から東京府(当時)に移管されました。
皆さんはこのことをご存知でしたか? どのような変遷で現在の姿になったのか、(公財)東京市町村自治調査会発行『ぐるり39 2023年5月号』 より抜粋して、多摩地域が神奈川県から東京府に移管された経緯について、見てみましょう!

  1. 明治維新と多摩郡

    明治という新たな時代が幕明けた1868年、明治政府は、藩はそのままに、徳川幕府の直轄領と旗本領に府と県を置く府藩県三治制をとりました。大部分が直轄領と旗本領だった多摩郡は、品川県、韮山県、神奈川県と旧大名領の飛地に分かれました。 神奈川県には横浜居留地十里以内の外国人遊歩地(※)が属することになりました。

    ※外国人遊歩地
    幕末の開国以降、外国人は居留地に住むことを義務づけられ、居留地周辺に外国人が自由に外出できる遊歩地が設けられた。横浜居留地には原町田、八王子、日野などが含まれていた。

    明日 自慢したくなる!?まとめ情報
    1868(明治元)年、多摩郡はいくつかの県に分かれてしまった!
    一部は神奈川県に属することになった!
  2. 神奈川県と東京府に分かれた多摩郡

    1871(明治4)年の廃藩置県が実行されて、府県二治制に移行します。当初、多摩郡は東京府と入間県に属することに決まりました。ところが神奈川県は、外国人遊歩地部分だけは神奈川県に据え置いてほしいと政府に願い出ました。すると、政府は東京府と入間県に対して多摩郡を神奈川県に引渡すよう命じました。神奈川県の要望は外国人遊歩地部分のみでしたが、多摩郡全体が神奈川県に属することになったのです。

    これに対して、東京府に隣接し、地理的にも経済的にも関係が深い多摩郡東部の村々から反対の声が挙がりました。この願いは政府に認められ、1872(明治5)年8月、中野村ほか31村が東京府へ移管されました(現在の中野区と杉並区にあたります)。こうして多摩郡は神奈川県と東京府に分かれました(図の①)。

    明日 自慢したくなる!?まとめ情報
    1871(明治4)年の廃藩置県で、多摩郡全体が神奈川県に!
    翌年、一部(現・中野区、杉並区)は東京府に!
  3. 三多摩郡の誕生

    1878(明治11)年に郡区町村編制法が制定されると、旧来の郡は行政区画になって郡役所と郡長が置かれました。また、郡域が広い郡は分轄されました。その結果、神奈川県に属した多摩郡は北多摩郡・南多摩郡・西多摩郡(いわゆる三多摩郡)に分轄され、東京府に属した多摩郡は東多摩郡となり、それぞれに郡役所(※)が設置されました(図の②)。

    ※郡役所設置地
    北多摩郡役所  府中駅(現・府中市)
    南多摩郡役所  横山宿(現・八王子市)
    西多摩郡役所  青梅町(現・青梅市)
    東多摩郡役所  中野村(現・中野区)
    (以前は「駅」や「宿」を名乗った町村があった)

    明日 自慢したくなる!?まとめ情報
    今から145年前に、いわゆる三多摩郡は誕生した!
    現在の中野区と杉並区は東多摩郡だった!
  4. 三多摩郡移管の経緯

    1893(明治26)年2月18日、衆議院に東京府及び神奈川県境域変更に関する政府案(西南北多摩三郡の東京府移管)(※)が提出されました。
    法律案は第四議会の最終日2月28日に衆議院と貴族院の両院を通過し、3月4日に公布され、4月1日には三多摩郡は神奈川県から東京府へ移管されました。法案提出から移管実施まで、わずかひと月あまりの出来事でした(図の③)。

    ※移管理由
    ・東京市の水道改良事業のために水源の涵養(かんよう)保護と森林濫伐の取締りが必要である
    ・元来三多摩郡は東多摩郡と一郡をなしていてお互いの利害が共通している
    などが挙げられた。

    明日 自慢したくなる!?まとめ情報
    130年前の三多摩郡の移管は、法案提出からわずかひと月あまりであっという間に実施された!

<図>多摩郡管轄の変遷

(小平市中央図書館『多摩東京移管前史資料展図録』)

  1. 1874、1875(明治7、8)年頃
  2. 1878~1893(明治11~26)年
  3. 1893(明治26)年~

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